29歳の青年航海士はその日、
45日間の航路を無事に終え徳山港に降りたった。
久しぶりに踏んだ陸地は、瀬戸内海に位置する山口の港。
もっとも彼の過去には、地球をぐるりと一周した武勇伝もある。
その時は、七ヶ月間もの長い船上勤務が続いた。
それを思えば、たった45日の海上生活など難なく終えた事だろう。
青年が、所謂「丘」へ上がったその夜。
同期三人で久しぶりに夜の繁華街へと繰り出す事にした。
ダンスホールが当時の大流行であり、
真っ白い制服を着たまま、彼等も一目散にそこへ向かった。
煙草の煙。
ブランデーの匂い。
流行の歌が聞こえる。
瞬時に彼等を、なんとも甘やかな夜へと誘っていく。
「東京午前三時」
フランク永井の歌が流れ始めたころ、
青年は一人の女性の目の前に立った。
「踊りませんか?」
長身の船員服姿が彼女にとってどれほど眩しく

彼女は、そっと右手を差し出した。
踊りながら彼女の話しを聞けば、
親や親戚に散々世話をしてもらい、ようやく決まった就職のため、
夕方、小郡駅を出発した夜行列車で東京へ向かう予定だったのだと言う。
ところが、親元を遠く離れた事のなかったその人は、
淋しくて、不安で、一時間もしないうちにたまらなくなり

途中で飛び降りたのが「徳山」という駅だった。
しかし帰るに帰れず、このダンスホールでぼんやりと座っていたのだ。
目の前に差し出された手をそっとつかんだ時、
二人は何かを感じたのだろうか。
・・・・と、これが、
私自身の生命の誕生が約束された(?)日でもある。
この夜の父と母の出会いを聞くのが私はとても好きで、
何度も何度も同じ質問をしてきた。
母が弱虫であったこと。
父の船がその日、徳山港に停泊したこと。
そしてこの夜、「ダンスホールの出会い」
これがなければ今の自分も、兄たちも存在していない……。
よくぞ途中下車してくれた!


私は時々、
なんとも幸せそうな「昭和」が香る
「東京午前三時」を聞きながら、その夜を空想して微笑む。
ニタニタ♪
