2012年01月21日

初デートと六本木ヒルズ〜その2


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幕の内を疾うの昔に過ぎてはおりますが、
改めまして、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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11歳の若い彼氏?と今年初のデートをした。
既に二週間も前の話だが^^;
どぅしてもUPしておきたかった。ウフ

随分前の日記に、六本木ヒルズの事について
いつか続きを書きたいと言いつつ、
そのままで気になっていた事をようやく書ける(^m^)オソ!

20120106乃木神社と乃木邸 011.jpg
この毛利庭園と名付けられた庭のオブジェの中に、

20120106乃木神社と乃木邸 009.jpg
現在このような井戸がある。

nogi_small.jpg
何年か前に訪れた際、この乃木将軍産湯の井戸や

nogi2_small.jpg
この辻占売りの少年と乃木将軍の銅像は、

いったいどうなってしまったのか!と怒りに震え
赤坂にある乃木神社の事務局長さんを訪ねた事がある。
そして、
「毛利庭園と名乗るオブジェの片隅に案内板があり、
そこには赤穂浪士討ち入りの後、
十人の浪士が預けられ切腹の日までの50日を過ごした内容が、
至って簡単に記してありました。(中略)^^;
こちらに移設となった銅像は兎も角、現在の井戸の場所は
乃木大将産湯の井戸の跡地になるのでしょうか……」
鼻息荒くお尋ねした。
すると、少々困惑された様子もあったが、
「恐らく間違いないと思う。。」
と、憂いを含んだ優しい表情でお答えいただいた。

その一言を背中に抱え、
早速六本木ヒルズ広報に電話をした。
「井戸の撤去や銅像の移設はもう後の祭り・・・
 せめて産湯の井戸の場所に案内板くらい
 建てる事は出来ないのでしょうかっっ!」
実に穏やかに攻撃的に話した(笑)

すると、広報の方が丁寧にお話し下さった。
「そのようなご意見が、
 大勢の方々の声としてあるようでしたら
 是非、今後検討したいと思います」
との事だった。

あれから数年。。
クッソ―!!(下品)いつかあそこに (- -メ)タテテヤル
と、改めて意を決す。

現在、震災の影響で欄干が壊れ、
殉死を遂げられたお部屋に近づく事は出来なかったが
赤坂の旧乃木邸庭に移設された銅像は、
あのオブジェの中にあるよりは
ここの方が落ち着くのかもしれないなぁ…と、しみじみ見つめた。

20120106乃木神社と乃木邸 003.jpg

と、一通り回った後、
けやき坂のスタバに寄り、ココア喫茶店を二人で飲みながら
そんな話しを延々聞かされていた彼は、
時々あくびをしていた(´0`)フア〜
ごめんね^^;


posted by 悠(ゆう) at 14:48| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
相変わらず心情的右翼(笑)の悠さんらしいです。

毛利庭園の桜は本当に綺麗で、ヒルズデビューが相当遅かったですが初冬のヒルズのセレブ御用達のフレンチ(当然「ゴチ」です(^^ゞ)からみえた毛利庭園は花はなくても、きれいでした。
そういう中にこんな埋もれてしまったものがあったのですね。

そんな私は乃木希典個人については、興味がないので、コメントできないなぁ、今回。
ただ、彼の真っ当で愚直ともいえる行き方は、大時代的と思われて、白樺派には殉死も含めて罵倒されてるし、芥川だって、「将軍」で皮肉ってますものね。

時には時代遅れでも、真っ当で愚直な行き方もあると思うのですが。
どっちにしても軍人は好かん!
といいながら、山本五十六のお言葉に「そうそう」と頷いている今日この頃です。

で、「11サイノ ワカイカレトノでーとハタノシカッタノデショウカ?」
Posted by ぴぃまま at 2012年01月21日 17:23
ぴぃままさん

心情右翼^^; まぁ、何を仰いますやら・・・。
至って真っ直ぐに進んでいる右でございます(笑)

乃木院長(敢えてここでは院長と言わせて頂きますが^^)
を愚直かのような人物として現代に印象づけたのは、
一部の(軟弱)小説家の感性に過ぎず、
大きくは「司馬史観」だと私は思っています。
逆に森鴎外などは「日本最後の本物の武士」と崇拝して
色々な事を真似て過ごしたようです。
書物から事実を計り知る事しか出来ないですが、
あまりに美しい話ばかりが存在し、
涙なくしては語れませぬノヨヨヨ(;;)今度キイテ♪

…と、こうして
どちらかと言うと正反対の意見を短い文章で語り合うなど、
ソーシャルメディアのなせる業なのでしょうかね^^
改めて感謝です☆

ワカイカレハ、アクビシマクッテイマシタ^^;
いつか思い出してくれれば充分かなぁ(^-^)
Posted by 悠 at 2012年01月22日 08:18
毛利庭園、天気予報中継で見ていますが
そのような史跡が有ったのですね。
ワカイカレシ、・・今の学院では院長のことは
詳しくは教えてないのでしょうか。 それに
NHKの『坂之上の雲』でも、陸軍は海軍の
脇役扱いで、将軍も参謀長の引き立て役
でした。 でもそのうちに カレの独学で
得た人物像で、悠さん史観と議論する日が来るでしょう
その時を楽しみに
 山猿・・近所の居酒屋で正月に振舞われた
     山口の地酒銘柄から命名しました

  
Posted by 山猿 at 2012年01月23日 09:59
山猿さん^^

最後の説明がなければ、
大凡どなかたもわからないところでした。
ありがとうございます。

そうですね。。
歴史も人もいろんな角度を持つものですね。
院長の事を具体的に教わる時間はないようですが、
歴代の院長の中でも一際尊敬されている事は間違いなく、
そしていろんな教えが残っています。
地酒は美味しかったですか^^?
Posted by 悠 at 2012年01月23日 22:46
歴史的な事は悠さんから今度ゆっくり聞くとして、
子供との時間が素敵に見えます。
親の母の想いを伝えておく、大事なような気がします。
心情的右翼?うまいこと言うなあ。感心しきりです。
最近じじいもそっち系統なのかな?
なんだか憂いています。この国を。
とかいいながら、日々の生活に追われています。
いま色んな事に手をだそうとしています。
おもしろいことに少しなりそうです。
とにかく生き抜きましょ!!!!!!
Posted by higejiji at 2012年01月28日 11:04
Higejijiさん

親の思い。。
大人になってふと一場面を思い出す。
な〜んて事になるとちょっと嬉しい感じがします^^
まあごり押ししない程度に、
独り言のようにつぶやいて参ります^^;

「おもしろいこと」
なんやねん(^m^)気になるぅ♪
Posted by 悠 at 2012年01月28日 14:37
悠さん

このたびのご母堂様のご逝去
謹んでお悔やみ申し上げます。

悠さんにはさぞかし寂しことと
心からお見舞を申し上げます。

お取り込みの中での書き込み
有難うございました。

寒さ厳しい中ですので、ご母堂様を
暖かくお見送り下さい   合掌
Posted by 山猿 at 2012年02月12日 12:54
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