もうすぐ読書週間。
子供にすすめる本を探すため、
先日、図書館であれこれと手にした本の中に、
とても印象深い物があった。
「フリスビーおばさんとニムの家ねずみ」
この本は1971年にアメリカで出版され、
翌年(1972年度)のニューベーリー賞を授賞している。
ニューベーリー賞とは、十八世紀、
ロンドンで初めて児童向けの本を出版し、
以降も子供の本の発展に力を尽くした『ジョン・ニューベリー』、
彼を記念した世界初の児童文学賞である。
アメリカで発行される児童書の中から
年に一度、
その年最高とされた作品に贈られる権威ある賞だ……ソウダ(・・)
物語は、
ヒッツギボン(お百姓)さんの家の畑に住んでいる野ねずみ家族と、
同じくその家の地下に住んでいる家ねずみたちの話。
春が来て、ヒッツギボンさんが畑を耕す時期を迎え、
野ねずみ家族が無事に引越しをする方法を、
それぞれが模索する事から始まる。
驚いたのは、本のタイトルにもなっている「ニムの家ねずみ」たちだ。
彼らは、
「ニム(NIMH)研究所」という実在しているアメリカの研究所で、
実験用として飼われていたネズミたちである。
彼らってフィクションじゃない
ニム(NIMH)研究所では、
なんと、二十一世紀中に人間の寿命を
二百歳にのばず研究の一翼を担っているらしい。
知能や寿命を異常なまでに発達させられたねずみたちは、
その知力で研究所を逃げ出し、
ヒッツギボンさんの家の地下に住み着いた。
そして、食料や電気を拝借しながら、
地下に文明の街をつくって生きていたのだ。
更に……重要なのはここからである。
電化して便利になった生活の中で、彼らはつぶやく
「中心点がなくなるほど安楽になってしまった」
家ねずみは、自分たちが心をなくしかけている事に気づく。
そしてある日、すべての文明を捨てて
電気はもちろん食料もない、
ソーンの谷間という未開の地へ出発していく。
これはまさに、人間社会への痛烈な風刺である。
訳者である越智道雄さんのあとがきに、
非常に印象深い言葉があったので以下抜粋して書き留めたい。
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勉強がよく出来たり、
その他何をやらせてもわけなくやってのける優秀な人に、
ただひとつ優しい心だけがかけている。
そして、その人はたいていその事に気づいていない。
才能というものは、人を傷つけたり、
自分の優しさを切り捨てたりする事で、
いっそう磨きがかかってくる。
少なくともそういう一面がある。
しかもやっかいな事に、私たちの社会を導いていくのは、
たいていそういう才能の豊かな人たちだ。
また、そういう人たちでないと出来ない事も山ほどある。(中略)
家ねずみたちの運命は、私たち人間の運命と大変よく似ている。
ただ、家ねずみたちが私たちと違うのは、
家ねずみたちは地下の基地を壊して背水の陣をしいたわけだが、
私たちはまだ自分たちの文明のどれを壊し、
どれを残せばいいか迷い続けている。
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この本が越智さんによって訳され、
日本で出版されたのは1974年。
人間は、「迷い続けて37年」経過しているのか。。(--;)ドーユーコトヨ
その後、吉祥寺通いで、落ち着いて来られたのかな?
私も結局、鍼、お灸で徐々にという感じです。
侮れない、東洋医学(笑)
さて、70年代初め、かの国はベトナム戦争のまっただなか。でも、その頃から知識人の反戦運動が始まっています。
もし、実在のニム研究所から逃げ出したネズミ君たちがいて、本当にそんな国を作っていて、それを放棄して…ということになると、「お国のやることに間違いはない」と思って生きてきたけれど…という思いと重なるんじゃあるまいか、などと思ってしまいました。
37年経っても、人間ってどこで成長しているんでしょうね?
大地震、原発、大雨…
天災とばかりも言いきれないものが多すぎます。
立ち止まって、必要なモノと不要なモノを考える。
断捨離って個人が行うだけではなく、人類とか政治とか世界とかでも考えたほうがいいことなのでしょうか。
個人的に断捨離、無理なんですけどね(笑)
こんなに久しぶりの更新にも拘らず、
いつも変わらず…嬉しいです(;;)
お元気ですか?
侮れない東洋医学に、私も助けられています。
「だんしゃり」←変換出来ず
今、まさにその最中かもしれません。
っと言ってもショボイのですが^^;
冷蔵庫の中や、箪笥の肥しの整理、
たまりにたまったビデオテープの処分などなど。。
執着を切り捨てていくと、
本当に明るい未来が見えてくるようで
楽しくなりますね♪
お身体大切に^^
捨てる事の潔さと、持ち続ける事の大事さ?
じぶんもよくはわからないけれど、物のはかなさって事は
この大震災で感じました。
ということはあまりにも便利さのなかに埋もれているってことか。
まわりに何にもなくなったらなにをしてるんだろう。
考えられない事だけれども、少なくても子供んころは
便利さのツールは少なかったね。
ひとつの物をいろんなツールに変化させてたね。
痒い所に手が届きすぎるのかな?
さてさて、どういうふうに老いていくかな。
最近ちょこっと考えます。
便利さと不便さは相反してる気はするけれど
そこから知恵は生まれる気はするね。
よし!楽しく老後を迎えよう!
茶飲み友達に悠さんはメンバーだよ。
higejijiさん
そうそう^^;
子供んころって確かに不便だったのかもね。
でも、そんな事はあまり感じてなかったなぁ。
アニメや映画の世界でみる、
オートメ化生活を空想した事はあるけど、
便利を追求しつつ
人間はどこまで進化出きるんだろうね。。
茶飲み友達♪
メンバーに入っていて光栄です^^
お誕生日おめでとう!
お久し振りッス(^O^)/
国体も終わって、やっと普通の生活に戻りつつある今日この頃・・・
悠の益々のご活躍と素敵な一年になることを
祈ってま〜す(●^o^●)
先ずはお祝いまで・・・
お・め・で・と〜〜〜♪
ほんっと久しぶりだわん(^O^)/☆
ありがとう〜〜〜!
嬉しい☆元気そうで安心した。
そうそう、国体のメイン会場
「維新公園競技場」だったみたいね。
いっぱい思い出ありまする^^
また来てね〜♪♪
つもる話しが。。^^;