元旦の朝。
いつも思い出す風景がある。
和室の床の間の前、和服姿の父がどっかと座っていた。
子供たちは私を最後尾に兄から順に並び、
「あけまして、おめでとうございます」
この日だけは丁寧に頭を下げ、新年の挨拶をする。
すると父は着物の襟元にすっと手を入れ、
「はい。おめでとう」
いつにも増して威張って言いながら、
子供たちの名前を右下がりの文字で書いたお年玉袋を手渡してくれた。
その後、
御節や雑煮を頂きながら子供たちも数滴ほどのお屠蘇にあやかる。
普段は近寄るのも怖いほど威圧感があり、((( ̄へ ̄) |(・・ )))。。。サササ
冗談を言って笑い合う事など皆無に等しかったが、
正月の朝の食卓だけは一年で最も和やかで、
一年で最も暖かい朝だったように思う。
「頑固」「傲慢」「我が儘」が三拍子揃った、所謂「典型的な昭和の父」を
今思えば、日本の正月の原風景と重なりあって懐かしく感じられる。
それとは別に、
父の機嫌の良し悪しによって例えば、お風呂の順番、言葉遣い、
ちょっとした油断からの生意気な態度…などなど、
ひどい時は女の私にも容赦なく鉄拳が飛んできた。
そんな時はただただ機嫌が回復するのを待つしかない。
故に、当然理不尽な思いもあった。(--)ム!
子供達はそれぞれに悔しい思いを小さな拳に握りしめ、
ひたすらあの時代に耐えることを学んでいたのかもしれない。
そんな事もいつしか年齢と共に受けいれ、
不思議なことに今では、
「男らしさ」などという話をする度、父の背中を思い出し更に、
「頑固」「我が儘」などと聞くと、
言葉では表現しきれないけれど、尊敬や憧れのようなものすら感じてしまう。
頑固で、傲慢で、我が儘で、
されど純粋に挑み、一つの何かを護り抜く。
そんな男の姿は、いつの時代にも存在し続けていて欲しい。
いや、存在し続けているのだと思う。至極愛しい。
「どうかそのまま頑固でいて」
「どうかそのまま我が儘でいて」そして、
「どうか挑んで下さい」それを
「どうか護って下さい」と……。
私はいったい、誰に叫んでいるのだろうか^^;ハハハ
その頃の状況が頭の中に浮かんできそうな文章です。
頑固、我が儘、お父さんを思い浮かべ、思い出す
そして、もう一人思い浮かべる人
我が儘、通すのも良いけれど、妥協と言うことも受け入れる余裕が欲しい
このまま突き進むの?
懐かしく今は自分にとっては憧れでもあることかな。
頑固、我が儘、いいんじゃないかな、ただその裏には
きっと誰にも言えないくらいの物を持っていたと思うし
自分の中で処理していたんじゃないかとおもうなあ。
ああそれが我が儘か?
でも無骨な人ほどある一線から無茶苦茶に優しくなったり
するんじゃないかな。それがきっと自分でわかっているから
そのメリハリをつけているような気がします。
フーテンの寅さん、あれほど我が儘な奴はいないんだけれど
私は彼に憧れますよ。生活じゃなく性格にね。
いままでにそんな人に会えたのはたった一人だけです。
今の親たちの一番弱い所かもね。
それにしてもホタピーさんの妥協、、、、、
このまま突き進むの?が
とっても気になります。
どうなの?
信念を持って
終始一貫しておれば、
軸さえぶれなければ
憧れます
でも悲しいかな、心が揺らぎます。
「我が儘・頑固」は、「孤独」と裏表だと思います。
平凡な気の弱い人間だから
揺らぎます
中途半端なただの我が儘・頑固ほど迷惑な物は無いのでは。
悠さんの「挑んで欲しい・護って欲しい」
わかるような気がします。
やはり…^^;
「妥協」を受け入れる余裕。
思い浮かぶ「もう一人の人」
そこへの不安(笑)
ホタピーさんが何を仰っているのか、
よぅくわかっています(*^.^*)
もっと我が儘になってやる!
などと敢えて宣言するような時は、
実は裏腹だったりして…ナンテ。
(わかってないですか(;^_^Aワタクシ)
寅さんのような人。いたよね(^_^)
勝手に遠すぎるとこ行きやがって!
ホント腹立つ(`ヘ´) モウ!
会いたいな〜。
「このまま突き進むの?」は
実は私へのお言葉ではなく、
とても大切な方へのメッセージだと思います。
愛するがゆえのd(-_^)
ご心配ありがとうございます。
「中途半端なただの我が儘・頑固ほど
迷惑な物は無いのでは…」
本当にその通りですよね(;^_^A
差詰め私などはその域かもしれません。。
そして、その背景にある「孤独」も
充分に理解できるだけに、
そんな人に愛情を抱いてしまうと
辛い事も多いです(〒_〒)ウウウ
けれども「挑む姿」はたまらない☆ウフ
言葉足らずでご心配おかけしました<(_ _)>
申し訳ありません。
悠さんに向けた言葉ではなかったのです。
悠さんに補足して頂きましたが、我が儘な人が、悠さんと私の回りに約1名いらっしゃって今年は今まで以上の我が儘宣言をされました。
でも、回りは少し(イッパイ??)引き気味です(笑)
中途半端じゃなく、軸のぶれない我が儘、頑固なのは分かっていますが
それだけに余計心配なのです。。
ご丁寧にお返事をありがとうございます。
ホタピーさんの「愛」
しっかりと伝わって参ります。
「その人」が羨ましくなるくらい^^;
あ〜そんな風に深い深い愛情で
包まれてみたい(;△;)←愛に飢えてる(笑)
それって私のことじゃん?と( ̄▽ ̄;)
威厳のある日本の男が少なくなったなぁと思ったりしちょります。
あと・・・女が強くなった?かも?うん(^^)
えーーー(ノ゚ο゚)ノ
「傲慢・頑固・我が儘」には見えない見えない(笑)
でもそんな人に限って…というのもよくわかる。
私もそっち系(?)だものぅ^^;ウフ
「威厳のある日本男児」いいね〜。
でも「優しい人」に甘えてしまうこの矛盾^^;
ムチャクチャや。
怖いものの定番からオヤジが抜けて久しい…ですね。
個人的には「団塊世代の民主派」が
家庭にも「民主主義」を持ち込んだ(?)ことが
少なからず影響しているとの持論がありますが、
何れにせよ威厳のある父親像を現実に見出すのは
今では、大変なのかも知れません。
私の父も頑固でした。
パリーグにDH制が導入されたとき、
そんな事はあり得ないと、事実そのものを
頑なに認めませんでした。
でも孫を見る目の優しさは、まったく別物だったようです。
威厳があって頼もしい…
そんな頑固じじぃに、私もなってみたい^^
そうですか。。
お父様も立派な「頑固者」でいらしたのね^^;
究極の母性から見つめてみれば、
それはこの上なく愛おしくて仕方がないのですが、
得てしてご本人は「孤立」や「孤独」と背中合わせだったりする…。
それが理解され受け入れられるのは、
とてつもなく時間を必要とする場合があり、
最悪はご本人が存在しない場合もあり得る(;;)
(我が家の場合)
「威厳のある頑固じぃさん」大好きですが、
ご本人が幸か不幸かは難しいですよね(-_-;ウーン
でも、小生のオヤジもまぎれも無い「昭和の我が儘、頑固」オヤジだった。
ほとんど家にいることが無く、たまに会ってもしかめっ面。
幼少の頃は何て対応すれば良いのか、全く分からなかった。
「背中」すらかすんで・・・
こちらもやっと精神的に成人したつもりで、オヤジの問わず語りを「正面」から酒でも飲みながら聞きたい、と覚悟した頃、それを見透かした様に、病魔に侵され、結局「背中」だけ見せて逝ってしまった。
数十年の時を経て、そんな事も忘れてしまいそうな今、本ブログが気付かせてくれたのもかも知れない。
「頑固、我が儘を標榜する自分は、ちゃんと背中と正面を見せているか」と。
それを言うんやったら
×「ちくっと違うぜよ」じゃのぅて、
○「ちっくと違うぜよ」が土佐弁じゃき。
ようおぼえちょき(−−)by おとめ(笑)
龍馬さんは大丈夫(^^)
「背中」と「正面」
バランス良ぅ見せてくれるき、
「斜」に構えて「バーボン」がよう似合うちゅう。。
長の旅に出ていたもんですから。
相も変わらず頑固に生きてます。
ここにきてそれプラス意固地にもなってきました。
ああそれと天の邪鬼にも、なんだかなあです。
ホタピーさん返信遅れすんません。
安心はしましたので、なんだか悠さんにも共通するような
感じではあったのでついつい。
さてとまた明日から旅に出ます。
火曜日には帰ってきます。
ブログ書いてあるかな?楽しみにしてます。
おいらは風の吹くまま西東でやんす。
止めてくれるな、さくらよ!
となりきったところで、行ってきます。
楽しい方ですね〜