2009年12月20日

謝罪〜罪深き少女のお尻〜

小学校へ上がるまでの約6年間。
山口は小郡の矢足(やあし)という、街から少し離れた山裾に住んでいた。
当時は勿論知る由もなかったが、
小さな平屋建ての我が家の真裏(山側)に
種田山頭火の「其中庵」があった。

今現在は、
平成4年に復元された建物があり石碑なども数を増しているが、
微かな記憶を辿れば、子供の頃、建物は既になかったように思う。
石畳、南天の木、読めない字の小さな石碑、そこに舞う桜の花びら…
そんな僅かなものが映像として蘇る。

だが、何と言っても幼い私にとっての「そこ」は、
どんぐりや椎の実を集める場所であり、
ご近所の庭の木にこんもりと実った「ぐみ」をもぎ取り、
満面の笑みで頂く庭であり、(野生児^^;)
小高い畑にずらりと育っている人参を一本引き抜き、
泥を洗いながら、これまたにっこりカリカリと頂く場所だった。(うさぎか^^;)

今思えば、
罪の意識などまるでなく、一度や二度の犯行ではないこの小さな泥棒(−−;
ご近所の皆さまは恐らく、
見て見ぬふりをして下さっていたに違いない…。がく〜(落胆した顔)
時を経て、今更ではございますが遠い空より謝罪いたします。ゴメンナサイ。
どうかどうか罪深きチビをお許し下さいませ。もうやだ〜(悲しい顔)

復元されて間もなく、帰省のついでに「其中庵」を訪れた事がある。
山頭火がこの庵で暮らしていた日々を書き残したものを読んだとき、

「夕方、2キロ近く離れた小郡駅前での物売りの声が、
   山を駆け登って庵にまで聞こえくる…」

などという一節がとても気になり、耳を澄ましてみたかったから。
(聞こえなかったが、聞こえるような気がした目耳

そしてもうひとつ。
当時、調達(?)した品々を庵の庭で頂く際に、
いつもちょこんと腰をかけていたはずの石(石碑)があったはず。
その石を見てみたかった。

それがなんと。。。
小さなお尻(当時は^^;)の下にはこんな句が刻まれていた。

山頭火石碑.jpg

「はるかぜの はちのこひとつ」

この石碑は、昭和25年に荻原井泉水が建立した貴重な句碑だったがく〜(落胆した顔)
自らの門下でもあった山頭火のため、
きっと様々な思いがこめられていたのだろう。

ガーーーン!
なんと、恐るべき少女がく〜(落胆した顔)
なんと、罪深きお尻モバQ

荻原先生、種田先生、ご近所の皆さま・・・ホントニごめんなさい。もうやだ〜(悲しい顔)


posted by 悠(ゆう) at 01:19| Comment(12) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その野生児?
わかるわかる。昔田舎で暮らしていた人はみんな同じだなと
思いますよ。小さな川で夏は泳ぎの練習。必ずと言っていいほど
近くの畑からスイカをひとつ拝借。たまり水のところへ冷やしておき
のどが渇いたらみんなで割って食べる。自動販売機などかけらもない
時代、近所のおじさんたちはどうせあいつらだろうと、見て見ぬ振り
そんな時代のおやじたちが今ではとてつもなく憧れるし、自慢ですよ。
山頭火。そうだよね山口の人だよね。その昔憧れた事がありました。
自由ばかりを思ってた頃かな。そこに生まれた悠さんだから
こんなにも素敵な人なのかな????????。失礼!
いやでも環境ってのは有りだと思いますよ。気質というかなんというか、それはありです。いろんな人が集まってのこの世だから、
それはそれでいいとは思うけれど、周りをみると自分の周りは
にたような感じの人が多いよね。それでいいのか。
自分の居場所だもんね。
ちいさなお尻を想いながら山頭火は旅立て!
と言ってたのかもね。
石だけに意思は固いってか?  ちゃんちゃん。
Posted by higejiji at 2009年12月20日 10:10
田舎の思い出ある人は、幸せです。
都会に生まれ育った人に羨ましがられたものです。

幼少の頃は、恐れ多くも神社の石を飛び回ったり
私もゴメンナサイが沢山有ります(笑)

大人になって知った「真田庵」など・・・

悠さんは、なんと山頭火の石碑ですか!コラ(-_-メ)
いろんな意味で心から謝罪を!
(悠さんには、この意味がわかりますね)

思い出せる故郷が有る。
またまた心が穏やかになる瞬間をいただきました。
Posted by スマイル at 2009年12月20日 14:57
Higejijiさん

「環境」による「気質」の変化。
それは私も大きく影響する事だと思います。
それから、「土地の言葉」による「性格」への
影響も若干ありますよね。同感。

あ…でも、
自動販売機は私はあったなぁ…(・・*)ゞ
あ…それから、
素敵な人なのかな?の後ろの
(?)7個はいりませんヾ(ーー )(笑)

Posted by 悠 at 2009年12月20日 19:09
スマイルさん

「真田庵」で石を蹴飛ばしていたスマイルさん♪
かわいらしい(^^)

見逃してくれる大人。
叱ってくれる大人。
素敵な愛すべき大人が沢山いました。

「心からの謝罪」
はい。そのつもりです。
ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

Posted by 悠 at 2009年12月20日 19:13
「山頭火」かあ。山口出身だったんだ。
放蕩の末、出家したんだよね、確か。

「てふてふ ひらひら いらかをこえた」
なんて句を、覚えてる。

拙者も武蔵野の田園風景の中で育った。

ふろしきをマントに、棒っきれを刀にしてあぜ道を走り回ったっこと、
かぶと虫の幼虫を投げっこ(何と残酷な!)したこと、
近所のおじん・おばんから、きゅうりやトマトをもらって、丸かじりしたこと、等など・・・

忘れていた記憶がふと蘇った。
Posted by 龍馬 at 2009年12月22日 10:41
てまえ生国とはっしますは、上州です。
上州と言えども、いささか広うございます。
生まれは観音様のあるところで、
育ちはと言うと、かの絹織物で栄えた土地でございます。

絹が盛んなだけに桑畑がたくさんありまして、
秋になると俗にドドメ色の由来であるところの
ドドメ(桑の実)が実をつけます。

一口頬張ると、これが意外に美味しくて、
もって帰るべくポケットに詰め込んだ次第です。
渡良瀬の川べりを歩って家に着き、ポケットをまさぐると…

その時履いていたズボンの色は忘れましたが、
見事なまでにドドメ色に染り…
シコタマドヤサレマシタ…とさ。

ハハハハハ、オチは言わずもがなでしたね^^
Posted by イナ缶 at 2009年12月22日 18:38

龍馬さま

放蕩の末…と言うより、
(私は)あらゆるこの世の「孤独」を、
これ以上ない!というほど
存分に味わった末…のような気がいたします。

龍馬さまが風呂敷マントとは!^^;
なんか、、、似合いませぬ。

Posted by 悠 at 2009年12月22日 19:19

イナ缶ちゃん

上州の観音様はわかりますが…(・・;
絹織物ってどこだっけ^^;?

更に、
桑の実と木苺の違いもわからず、
私も頬張っていたかもしれません。アリャア

近頃、コメントの送信に失敗して
何件もコメントがアップされて焦っている缶ちゃん。
微笑ましい(^^)♪

Posted by 悠 at 2009年12月22日 19:29
「放蕩」と「慟哭」は、紙一重、裏腹・・・

ある意味、「放蕩」は男のあこがれかもしれん。
Posted by 龍馬 at 2009年12月23日 18:49

龍馬さま

なるほど(・・)。。。
「放蕩」の字面だけ読んでいたようで…。

お恥かしい(・・;ハンセイ
Posted by 悠 at 2009年12月23日 20:40
"ぐみ"って、ぐすべりのことかなぁ?
うすい黄緑色で甘酸っぱいの(^^)
かりかり梅みたいな。
小さい頃は、あちらこちらにあった。
小腹がすくと・・・
勝手に食べてたよ。

・・・って、食べ物の話題にしか付いていけないぜぃ
Posted by ☆ミネ☆ at 2009年12月28日 15:56

☆ミネ☆ちゃん

いらっしゃい(^^)
「のり」の良い貴女をずっと待っていたわん♪

「ぐすべり」(・・?ってなんだ?

ぐみはね、さくらんぼみたいに
たわわに木に実るの。
さくらんぼより少し長細くて真っ赤な実だよ(^^)
美味しいの♪

「ぐすべり」(・・?…ってなんだ?
Posted by 悠 at 2009年12月28日 18:22
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