2011年08月01日

新月の祈り



新月の時が近づくと、
毎月必ず詳しい時間帯を知らせて下さる方がある。
その優しくて丁寧なメールの文面を見る度、
本当に頭が下がる思いだ。
上弦の月に思いを馳せ、紙に願い事を書くという実にシンプルな行事。
願いが叶う叶わないは別として、
重要なのは月に一度どこへ向かって自分が歩いているのか、
その軌道を確認する意味は大いにあると思う。

そこで、
溜まってきた紙を整理してみた。
するとあらあらあらら。。。
叶わない願いの数々は兎も角、
そこに連なる我欲の塊^^;
視野の狭さ。
スケールの小ささ。もうやだ〜(悲しい顔)トホホ
ショボ〜ふらふらい自分が何枚も何枚も…重なっていた。

更に、そんな自分を戒めるが如く
昔の手帳を見つけて愕然とした。
1991年の夏、ある方の切なる祈りを読ませていただき、
手帳に書き留めた物だ。
この時、後頭部を殴られたほどの衝撃を受けたのを思いだす。
(以下抜粋)

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グアム島で発見された書物より
海軍軍属 石田政夫 37歳
昭和19年8月8日、グアム島にて戦死

三月○日
内地の様子が知りたい。聞きたい。
毎日、情勢の急迫を申し渡されるばかり。
自分達はすでに死を覚悟してきている。
万策つきれば、いさぎよく死のう。

本月の○日頃が、また危険との事である。
若し玉砕して、
その事によって祖国の人達が少しでも生を楽しむことが出来れば、
母国の国威が少しでも強く輝く事が出来ればと切に祈るのみ。

遠い祖国の若き男よ、強く逞しく朗らかであれ。
なつかしい遠い母国の若き女達よ、清く美しく健康であれ。
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37歳の青年が、玉砕目前の南の島から祈った母国。
自分自身の欠片ほども存在していない遠い未来の母国を思い、
そこに暮らす男たちを励まし、
そこに暮らす女たちを慈しんでいる。
決して長くはない自分の生が終わる寸前、
人は、こんなにも大きな愛を抱けるものなのか。
涙がとまらなかった。

千年に一度とも言われる大震災の後、
あらゆる意味で、どこまでも汚染されてしまった日本。
最早10年後、20年後の安定や維持を考え、
必死に目先のそれらを守っている場合ではないのかもしれない。
改めて新月に願うとするなら、せめて今日は我欲を捨てて
これだけを書かせて頂こう。

 この国の美しいもの全てが、それぞれの場所に甦ると共に、
 生きとし生けるもの全ての生ある限り、
 強く逞しく朗らかであり、
 清く美しく健康でいられますように。


posted by 悠(ゆう) at 22:26| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする