2018年10月22日

乳癌検診のこと



必ず更新したいと言いつつ
入学式の日記から
もうすぐ6年になろうとしている。
あの中坊もまもなく高校を卒業し
来春からは大学生だ。
なんと月日の早いことだろう。

高校を卒業する子どもをもつ母にとって、ついに
「お母さん」として「〜しなければならない」
時間に追われる日常から少し解放されるような
とうとう「お母さん」を卒業してしまうような
なんとも感慨深い次の春になるのではないだろうか。

日々、書き留めておきたいことは山のように
沸き起こるのに……、
それらが昨日や、一昨日になっていくうちに
やがて記憶から消えていく。
あぁぁぁ、なんてもったいない。

さてこのブログ
もう自分でもあまりのブランクが情けなくて^^;
半ば諦めかけていた更新を今回しようと思ったのは
「健康診断」についてである。
自分の体験した情報が少しでも
誰かの役にたつかもしれない。
そう思うと、最早恥ずかしさなどどうでも良いわけで…。

今年の8月、
目黒区の健康診断で乳癌の検査を受けた。
私にはかかりつけの婦人科があったのだが
そこにはマンモグラフィーがないので
学芸大学にある「さくらウィメンズクリニック」
でなんとか予約をとって検査をしてもらった。
このクリニックはすべて優れた女医さんで人気も高く、
いつもびっくりするほど混雑している。
そこで運よく予約がとれたのが電話をしてから
約2か月後の8月だったというわけだ。

かかりつけのクリニックで
約1年前と半年前に2度エコー検査をした時には
見つからなかった初期の乳癌を、
忘れもしないさくらウィメンズの「吉田玲子先生」
美しくて妖艶な雰囲気の女医さん♡
「少し怪しい部分があるので念には念をで
 安心するために生検をしますね」と
追求した検査をすすめて小さく散らばっている癌を発見し
更には大きな病院へと紹介して下さったのである。

今思えば、
・2年に一度の乳癌検診がもし今年でなかったら
・いつものクリニックで大丈夫だと思って行かなかったら
・先生が念には念を!と判断されなかったら
など、いろんな要因が手伝って私は助けられたと感じた。

乳癌は、リンパも肺も心臓も近く
早期発見がとても重要になってくるはずだ。
半年前にエコー検査をやっていて大丈夫だと言われれば
多くの人が安心して行かなかったかもしれない。
それほど、物事の流れは繊細で危うい。
だからどうか、
★最低でも年に1回は検査を受けた方が良いという事と
いつものクリニックの先生も大好きな先生なのだが、
★時には病院を変えてみた方が良いという事
これを痛感した。

現在、手術から6日め。
また更新します。

posted by 悠(ゆう) at 16:50| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月13日

入学式にて


式辞トリミング写真.jpg

先週の日曜日(7日)中学の入学式にて、
(分不相応ですが)無事大役を終えました。

カメラを持つ手が震えている私を他所に^^;
堂々と挨拶している彼を、
実に頼もしく、誇らしく思えた一日でした。
うふふ、親○鹿とお笑いください。

彼に代わって日本中にいる「仲間」へ……。

(以下抜粋ですが)
*************************

私たちは今日こうして、
みなさま方に温かく見守っていただきながら
入学式を迎えることができました。
今まで、私たちを導いてくださった
それぞれの小学校の先生方、先輩方、
そして、どんなときも支えてくださった私たちの家族に、
あらためて心から感謝いたします。
しかし、一昨年の東日本大震災により、
未だに避難生活を強いられ、ゆかりのある土地や学校で、
このような入学式を迎えられない人たちも
多くおられることと思います。
同じ空の下で、復興に向かって
懸命に頑張っている人たちがいて、
そこには、同世代の「仲間」たちもいることを心におき、
今、この時を大切に過ごしたいと思います。

私たちは、社会生活や授業のなかで、
いろいろなことを学び、現在、日本がかかえている問題や、
これからかかえていくはずの問題などが、
少しずつわかるようになりました。
これからも、中等科で出会う「仲間」と、
どんなことも、共に学び、共に考え、良い影響を与え合い、
成長していきたいと思っています。
そして、ここで学んだことを土台にして社会へ出たとき、
今度は、日本中にいる「仲間」と共に、
どんな問題も乗り越えていこうと思います。

さらに、長い歴史を通じて海外から高く評価されてきた、
日本人の礼儀(秩序)や美徳をしっかりと身につけ、
誇らしく、胸をはって、
いつかは世界に羽ばたいていきたいと思います。

*************************

手汗でじっとりしてくる巻物を握り、
「ダメ(−−メ)最初っから!」
と私に怒られながら、何度も練習しました。
よく頑張ったね(;o;)

そして、頑張れ平成の日本男児!!

posted by 悠(ゆう) at 13:34| Comment(9) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月22日

ブログについて



更新をお休みしてから、
早一年以上も経過してしまいました。
それは、ページをスクロールすることで、
母の存在を鮮明に感じてしまうからでした。
私の弱い心は、まだまだそこを受け入れられず、
目を背け、避けて過ごすしかなかったのです。

先日まで放送されていた、重松清さん原作の
日曜劇場「とんび」の中で、主人公「やっさん」が
エプロン、スリッパ、買い物籠……など、
亡くなった妻の面影を彷彿とさせる全ての物を、
徹底的に捨ててしまうシーンが印象的でした。

そして、ひどく共感できました。

人はあまりにも辛い別れに接したとき、
前を向くために、泣きじゃくる自分の心と一緒に
力尽くで大切な物を切り捨てていくしかない時が、
あるのだと思いました。

それでも、
ブログを開けないままだった弱虫の私に、
励ましのメールを下さった方、
暖かくお声をかけて下さった方、
今でも覚えていて下さる方、
本当に嬉しいです。ありがとうございます。
その度に、私は幸せものだと実感しておりました。

また、少しずつ更新して参りますので、
お時間があれば是非、
今まで通り覗いていただけると嬉しく思います。




posted by 悠(ゆう) at 16:05| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月12日

旅立ち


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2012年(平成24年)2月10日(金)
13:17分
母 桂子が77年の生涯を閉じ、
目に見えている世界ではない
別の次元へと旅立ってしまいました。

生前、いろいろな形で母を助けて下さった方々へ、
そのひとつひとつの思いが、
2008年(平成20年)2月、
余命半年を告げられた日から
4年も元気に生きる事が出来たのだと思っています。

このような場所から申し上げるのも
どうなのだろうかといろいろ迷いました。
しかし、13日に家族だけで静かに見送る事となり、
ただただ今は、ほんの少しでも関わって下さった方々へ
母に代わって感謝の気持ちをお伝えしたくてここに記します。

本当にありがとうございました。

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恥ずかしいほど更新の少ないこのブログですが、
更に、暫くお休みしようと思います。
しっかりと地に足をつけられた時、
必ず復活するつもりでもおりますので、
もしも、思い出して頂ける事があれば
また是非お立ち寄り下さいませ。
重ねて、ありがとうございました。



posted by 悠(ゆう) at 01:20| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月21日

初デートと六本木ヒルズ〜その2


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幕の内を疾うの昔に過ぎてはおりますが、
改めまして、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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11歳の若い彼氏?と今年初のデートをした。
既に二週間も前の話だが^^;
どぅしてもUPしておきたかった。ウフ

随分前の日記に、六本木ヒルズの事について
いつか続きを書きたいと言いつつ、
そのままで気になっていた事をようやく書ける(^m^)オソ!

20120106乃木神社と乃木邸 011.jpg
この毛利庭園と名付けられた庭のオブジェの中に、

20120106乃木神社と乃木邸 009.jpg
現在このような井戸がある。

nogi_small.jpg
何年か前に訪れた際、この乃木将軍産湯の井戸や

nogi2_small.jpg
この辻占売りの少年と乃木将軍の銅像は、

いったいどうなってしまったのか!と怒りに震え
赤坂にある乃木神社の事務局長さんを訪ねた事がある。
そして、
「毛利庭園と名乗るオブジェの片隅に案内板があり、
そこには赤穂浪士討ち入りの後、
十人の浪士が預けられ切腹の日までの50日を過ごした内容が、
至って簡単に記してありました。(中略)^^;
こちらに移設となった銅像は兎も角、現在の井戸の場所は
乃木大将産湯の井戸の跡地になるのでしょうか……」
鼻息荒くお尋ねした。
すると、少々困惑された様子もあったが、
「恐らく間違いないと思う。。」
と、憂いを含んだ優しい表情でお答えいただいた。

その一言を背中に抱え、
早速六本木ヒルズ広報に電話をした。
「井戸の撤去や銅像の移設はもう後の祭り・・・
 せめて産湯の井戸の場所に案内板くらい
 建てる事は出来ないのでしょうかっっ!」
実に穏やかに攻撃的に話した(笑)

すると、広報の方が丁寧にお話し下さった。
「そのようなご意見が、
 大勢の方々の声としてあるようでしたら
 是非、今後検討したいと思います」
との事だった。

あれから数年。。
クッソ―!!(下品)いつかあそこに (- -メ)タテテヤル
と、改めて意を決す。

現在、震災の影響で欄干が壊れ、
殉死を遂げられたお部屋に近づく事は出来なかったが
赤坂の旧乃木邸庭に移設された銅像は、
あのオブジェの中にあるよりは
ここの方が落ち着くのかもしれないなぁ…と、しみじみ見つめた。

20120106乃木神社と乃木邸 003.jpg

と、一通り回った後、
けやき坂のスタバに寄り、ココア喫茶店を二人で飲みながら
そんな話しを延々聞かされていた彼は、
時々あくびをしていた(´0`)フア〜
ごめんね^^;


posted by 悠(ゆう) at 14:48| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

平成23年


平成23年

2011年

今年ほど
当たり前のように傍にあるささやかな幸せが
どんなに尊いものなのか、
痛いほど感じさせられた年はなかった。

この時代に、この年に生きていた全ての人にとって
決して忘れられない年となった。
いや、絶対に忘れてはならないのだ。


身をもって感じた事、

自分の目で見た事、

誰かが体験した事、

誰かに聞いた事、

必要だと思う事、

必要がないと思う事、

自然の偽出かす理不尽、

それでも大きく美しい海、

人間の無力さ、

人間の暖かさ、

誰かが真剣に考えていた事、

誰かが真剣に求めていた事、

人々が成し遂げた事、

人々が最も大切にした事、

人間の優しさ、

秩序、強さ、底力……。


それら全てを自分の細胞という細胞で感じとり、
50年後、100年後、200年後の日本の事を
真剣に考えられる大人でありたいと思う。

その願いを胸に夜
改めて、
本年もいろいろとありがとうございました。
みなさまどうぞ、
良いお年をお迎えくださいませわーい(嬉しい顔)

posted by 悠(ゆう) at 19:53| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月11日

皆既月食 2011


昨日12月10日の21:30頃から、
生まれて初めて皆既月食を観察した。
未だに使いこなせていない一眼レフを
ベランダから落とさぬように首から下げて撮ってみた。
だらだらと書き連ねるいつものブログを諦め(笑)
写真が主の日記に挑戦わーい(嬉しい顔) 以下↓

画像 001.jpg
満月〜
画像 002.jpg
ちょっと来たか(・・)
画像 003.jpg
お〜
画像 004.jpg
わかるわかる
画像 005.jpg
もう少し
画像 006.jpg
ぶれてる〜(ToT)

今度は2014年らしい三日月

息子はお泊りで出かけていたため、
母と二人で空を見上げ
「あ〜首が痛い(ToT)」
と言いながら、ベランダに出たり入ったりして見た。

途中でまた、相変わらずの大ボケを披露してくれる母、
「ね、ね、地球と月、どっちが動きよるん(・・?)」
「え? 両方動きよる……けど、何が知りたいん?^^;」
「子供の頃、アタシャ黒い下敷きみたいのを透かして見たんよ目
「それ日食ですから^^;?」

こんな会話を交わしながら2011年の師走、皆既月食終了。
2014年も、傍に母が居てくれる事を祈りつつ夜

posted by 悠(ゆう) at 17:42| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月29日

「史上8人目・代打逆転サヨナラ満塁ホームラン」



ありがたいことに、
取引先の方より巨人戦のチケットを頂くことが多く、
今シーズンは昨年以上、
息子と二人で東京ドームへ行く機会が増えた。

リーグ最終戦となった一週間前の22日(土)、
「最後だから贅沢しよっか」
と叙々苑の焼肉弁当を二人でがっつき^^
さあ!応援準備開始。
メガホン、オレンジタオル、長野タオル、地味だけどお手製の長野うちわ^^;

image.jpg

よっしゃスタンバイOK!(^m^)ワクワク

ところが、
先発のルーキー澤村が好投していたにもかかわらず、
横浜の4番村田選手に2本のホームランを打たれ0−2。
対する巨人は、7回まで残塁の山が続き暗雲たちこめる一方だった。
easyなミスや、チャンスで凡退すると
「なぁにやってんのぅぅぅ(-ε-)ブーブー」
とやじる私を、厳しい顔で注意する息子も、
この時ばかりはイライラしていた(- -メ)

更に、
前の席には大声で話すおじちゃまがおられ、
おねいちゃんを二人連れて騒ぐのである。
負けムードの試合展開に集中出来なくなったのか、
飲み会の取り決めに必死のご様子(-_-;
後ろにはスキンヘッド+強面のおにいちゃん。
大好きなライト応援団席ではあったが、
どんどんテンションが下がってきていたバッド(下向き矢印)

すると8回裏、阿部選手のホームランで1−2となり、
なんとかビックマックの無料券はゲットした。
(注:両チームにホームランが出るとビックマック無料券が配布される)

ビックマック.jpg

が、しかし、私はアンチハンバーガーなのである(-゛-メ)
親の偏見により、当然普段は息子にも食べさせないのだが、
ホームランによる無料券の時だけは解禁となる(笑)
「ビックマックがあるからいっか!」
と息子の横顔をちら見しつつ、元気づけてみるものの
「・・・・・・・」

そしてむかえた9回裏。
エラー、ヒット、フィールダスチョイスで、
なんとノーアウト満塁の大チャンス。
そこで……、ぶっふっふっふ(^m^)ついに代打登場。
この日首位打者のタイトルを考えてスタメンをはずれていた長野選手が、
長野選手が長野選手が長野選手が、ネ(;;)

代打逆転サヨナラ満塁ホームラン!!!

「ぃやったーーあーーー!!!!!」
ふくらはぎが攣るほどぴょんぴょん跳ねながら、息子と何度もハイタッチ!
大声のおじちゃまも、おねいちゃんも、スキンヘッドの強面も、
回りにいる人みんなみんな友だちみたいにハイタッチ手(パー)手(パー)手(パー)(爆)

顔面にデッドボールを受け、頬骨を骨折した事なんて
まるで気にもしていないような今シーズンの大活躍。
「代打逆転サヨナラ満塁ホームラン」は史上8人目の快挙らしい。
2年目のまだまだルーキー長野久義、なんてすごい男ナノ(;;)
11歳の野球少年は、あなたを、そして今日の試合を一生忘れません。アタクシダッテ

見逃した方も、興味のない方も、お時間が許せば是非わーい(嬉しい顔)

http://www.youtube.com/watch?v=heMqoQHToHM&list=FLB7C_fbfnN4KmFW8s3hcJiQ&feature=mh_lolz

posted by 悠(ゆう) at 20:09| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月06日

「迷い続けて37年」



もうすぐ読書週間。
子供にすすめる本を探すため、
先日、図書館であれこれと手にした本の中に、
とても印象深い物があった。

「フリスビーおばさんとニムの家ねずみ」
hurisubi.jpg

この本は1971年にアメリカで出版され、
翌年(1972年度)のニューベーリー賞を授賞している。
ニューベーリー賞とは、十八世紀、
ロンドンで初めて児童向けの本を出版し、
以降も子供の本の発展に力を尽くした『ジョン・ニューベリー』、
彼を記念した世界初の児童文学賞である。
アメリカで発行される児童書の中から
年に一度、
その年最高とされた作品に贈られる権威ある賞だ……ソウダ(・・)

物語は、
ヒッツギボン(お百姓)さんの家の畑に住んでいる野ねずみ家族と、
同じくその家の地下に住んでいる家ねずみたちの話。
春が来て、ヒッツギボンさんが畑を耕す時期を迎え、
野ねずみ家族が無事に引越しをする方法を、
それぞれが模索する事から始まる。
驚いたのは、本のタイトルにもなっている「ニムの家ねずみ」たちだ。
彼らは、
「ニム(NIMH)研究所」という実在しているアメリカの研究所で、
実験用として飼われていたネズミたちである。
彼らってフィクションじゃないがく〜(落胆した顔)

ニム(NIMH)研究所では、
なんと、二十一世紀中に人間の寿命を
二百歳にのばず研究の一翼を担っているらしい。
知能や寿命を異常なまでに発達させられたねずみたちは、
その知力で研究所を逃げ出し、
ヒッツギボンさんの家の地下に住み着いた。
そして、食料や電気を拝借しながら、
地下に文明の街をつくって生きていたのだ。

更に……重要なのはここからである。
電化して便利になった生活の中で、彼らはつぶやく
「中心点がなくなるほど安楽になってしまった」
家ねずみは、自分たちが心をなくしかけている事に気づく。
そしてある日、すべての文明を捨てて
電気はもちろん食料もない、
ソーンの谷間という未開の地へ出発していく。
これはまさに、人間社会への痛烈な風刺である。

訳者である越智道雄さんのあとがきに、
非常に印象深い言葉があったので以下抜粋して書き留めたい。

****************************
勉強がよく出来たり、
その他何をやらせてもわけなくやってのける優秀な人に、
ただひとつ優しい心だけがかけている。
そして、その人はたいていその事に気づいていない。
才能というものは、人を傷つけたり、
自分の優しさを切り捨てたりする事で、
いっそう磨きがかかってくる。
少なくともそういう一面がある。

しかもやっかいな事に、私たちの社会を導いていくのは、
たいていそういう才能の豊かな人たちだ。
また、そういう人たちでないと出来ない事も山ほどある。(中略)
家ねずみたちの運命は、私たち人間の運命と大変よく似ている。
ただ、家ねずみたちが私たちと違うのは、
家ねずみたちは地下の基地を壊して背水の陣をしいたわけだが、
私たちはまだ自分たちの文明のどれを壊し、
どれを残せばいいか迷い続けている。
****************************

この本が越智さんによって訳され、
日本で出版されたのは1974年。
人間は、「迷い続けて37年」経過しているのか。。(--;)ドーユーコトヨ



posted by 悠(ゆう) at 15:35| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日

新月の祈り



新月の時が近づくと、
毎月必ず詳しい時間帯を知らせて下さる方がある。
その優しくて丁寧なメールの文面を見る度、
本当に頭が下がる思いだ。
上弦の月に思いを馳せ、紙に願い事を書くという実にシンプルな行事。
願いが叶う叶わないは別として、
重要なのは月に一度どこへ向かって自分が歩いているのか、
その軌道を確認する意味は大いにあると思う。

そこで、
溜まってきた紙を整理してみた。
するとあらあらあらら。。。
叶わない願いの数々は兎も角、
そこに連なる我欲の塊^^;
視野の狭さ。
スケールの小ささ。もうやだ〜(悲しい顔)トホホ
ショボ〜ふらふらい自分が何枚も何枚も…重なっていた。

更に、そんな自分を戒めるが如く
昔の手帳を見つけて愕然とした。
1991年の夏、ある方の切なる祈りを読ませていただき、
手帳に書き留めた物だ。
この時、後頭部を殴られたほどの衝撃を受けたのを思いだす。
(以下抜粋)

***************************
グアム島で発見された書物より
海軍軍属 石田政夫 37歳
昭和19年8月8日、グアム島にて戦死

三月○日
内地の様子が知りたい。聞きたい。
毎日、情勢の急迫を申し渡されるばかり。
自分達はすでに死を覚悟してきている。
万策つきれば、いさぎよく死のう。

本月の○日頃が、また危険との事である。
若し玉砕して、
その事によって祖国の人達が少しでも生を楽しむことが出来れば、
母国の国威が少しでも強く輝く事が出来ればと切に祈るのみ。

遠い祖国の若き男よ、強く逞しく朗らかであれ。
なつかしい遠い母国の若き女達よ、清く美しく健康であれ。
***************************

37歳の青年が、玉砕目前の南の島から祈った母国。
自分自身の欠片ほども存在していない遠い未来の母国を思い、
そこに暮らす男たちを励まし、
そこに暮らす女たちを慈しんでいる。
決して長くはない自分の生が終わる寸前、
人は、こんなにも大きな愛を抱けるものなのか。
涙がとまらなかった。

千年に一度とも言われる大震災の後、
あらゆる意味で、どこまでも汚染されてしまった日本。
最早10年後、20年後の安定や維持を考え、
必死に目先のそれらを守っている場合ではないのかもしれない。
改めて新月に願うとするなら、せめて今日は我欲を捨てて
これだけを書かせて頂こう。

 この国の美しいもの全てが、それぞれの場所に甦ると共に、
 生きとし生けるもの全ての生ある限り、
 強く逞しく朗らかであり、
 清く美しく健康でいられますように。


posted by 悠(ゆう) at 22:26| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする